シリーズ 戊辰の残像 (33) 笠井 尚著

十 白虎隊 H 〜不意を突かれた会津藩〜

 士中白虎2番隊の戦いぶりは、壮烈なものでしたが、雨にたたられ、食料もままならないなかで、敵を撃退するのではなく、かろうじて一矢報んとして、銃を乱射したのでした。そして、西軍の射程距離のある銃の前に、沈黙を余儀なくさせられ、あえなく撤収することになったのです。慶応4年8月21日夕方には、母成峠の石筵を破り、怒涛のような進撃を始めた西軍に対して、会津藩は、迎撃に躍起になりました。会津藩の主力は、国境の十ヶ所に出ていました。城内、城下に残っていたのは、大半は老人や女性や子供ばかりでした。そこを突かれたのですから動転するのもうなずけます。
 予想を覆す西軍の進撃をくい止めるためもあって、22日午後2時に松平容保は、直々に滝沢村の郷頭の横山三郎邸を本陣とし、そこまで兵を進めたのでした。この日の午前6時をやや回った頃に、石筵から敗走との報に接して、苦戦中の藩士の志気を鼓舞せんとしたのでした。この日のうちに猪苗代も落ち、城代の高橋権太夫は、若松城下に逃れています。
 松平容保公の側には、弟の桑名藩主松平定敬の姿もありました。決死の覚悟で、最前線に立とうとしたのです。日向内記を中隊頭とする士中白虎2番隊も、その時に出陣を命じられたのです。


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