<はじめに>

■この度書き連ねてきた、「戊辰の残像」をシリーズで載せていく事になりました。「戊辰の残像」を中心に、歴史を調べて行きたいと思っています。

■なお、管理人@の著書の文面&管理人の考え&意見を述べた物に関しては、転用することを堅くお断り致しますので、その点よろしくお願いいたします。

■資料として、載せられている物に付きましては、私も、資料から拝借した物ですので、一言いただきましてからであれば、転用も可能とさせていただきますが、規定を守っていただきます。年表などを転用又は、部分的にでも使われる場合は、このサイトから持ってきた事を証明する言葉を付け加え、なおかつリンクを貼っていただければと思います。なお、立ち上げられた後に、確認に行きたいと思いますので、立ち上げ終わりましたら、ご連絡いただきたいと思います。宜しくお願いいたします。

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〜もう一つの戊辰戦争観〜

 会津人にとって戊辰戦争とは何であったのでしょうか??130年経って、私たち会津人も、ようやく冷静に語る事が可能になったと思います。会津坂下町出身で、大正生まれの作家永岡慶之助さんは「戊辰のこととなると思考が停止したようになる」と正直に告白しています。が、そこにとどまっていたのでは、歴史を一つの教訓として学ぶことにはなりません。
 また「会津は朝敵にあらず」というのは、会津川の一貫した主張でした。旗振り役は昭和6年に設立された会津史談会で、戊辰戦争では正義が踏みにじられた、との憤りがあったからです。
 とくに、昭和3年9月28日に会津藩主松平容の孫娘勢津子姫が秩父宮家に嫁がれて、秩父宮妃殿下となられました。そのときから汚名返上という気運が急速に盛りあがりました。
 その反面、被害者意識ばかりが強調されてきました。会津が発展しないのは、朝敵の汚名を着せられたから、との議論は、驚くべきことに今日も続いているのです。
 ただ、勤皇としての、会津藩の身の潔癖については、もかや意義を差しはさむ意見は、歴史学者の中にもほとんど見あたりません。
 薩長が糸を引き、公家である岩倉具視黒幕説が濃厚な慶応2年(1866)12月の孝明天皇の毒殺。幕府側に動揺が走った、慶応3年(1867)10月の「倒幕の勅」のでっちあげも、すでに定説化されています。
 孝明天皇の子であr明治天皇は、わが父を暗殺した者たちの言いなりになるしかなかったのですから、親子の情を考えれば、とんでもない悲劇です。
 孝明天皇は、徳川幕府や、会津藩主松平容保をことのほか頼りにしていました。徳川慶喜の前の将軍徳川家茂が元治元年(1864)1月に入京したときに、わざわざ勅書を与え「狂暴の輩」とまで長州を罵倒しています。
 さらに、この年の2月には松平容保にも密書を渡しました。このなかでは「何卒極秘の計略を以て朕の心底貫徹致し呉れ候事成るまじや」と心のうちを語っています。
 慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いに負けた幕府軍は、戦意を喪失しており、徳川慶喜は錦の御旗には抗しがたいと、さっさと恭順の意を表明しました。
 「天子に御向かい弓を引かせられなば、少しも将軍家に従いたてまつる事はせぬ心得なり」という、天皇絶対の水戸学をたたき込まれた徳川慶喜は、朝敵になるのをもっとも恐れたのです。
 エスケープゴートされた会津と、江戸での薩摩藩士の乱暴狼藉に耐えかねて薩摩藩邸を焼き討ちにした庄内藩だけが藩内に引きこもりました。西軍に気がねして、徳川慶喜が両藩に江戸を離れるよう命じたからです。
 ただ、会津藩には何らかの目論見があったと思います。一矢報いたい。それだけで戦えるわけがありません。庄内藩との同盟もそうでなければ理解できません。
 京都で治安の任にあたった会津藩は、政治の世界での立ち回りを学んだはずです。一時は薩摩藩と組んで長州藩を都から追い落としたのですから、薩長藩閥政府ではないもう一つの政権構想を探ったとしても不思議ではありません。


〜会津藩の開明派〜

 会津藩士のなかでも、山本覚馬や秋月悌次郎は開明派であり、非常に優れた人材。
 また、会津藩ではあまり知られていない米沢藩士雲井龍雄、長岡藩家老河井継之助についてもとりあげるつもりです。山本、秋月が雲井や河井と同じように取り立てられていれば、4人の傑物が結束して、薩長に対抗する政権構想を示し得たのではないか。そんな素朴な疑問がわいてくるからです。


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