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創刊の辞:
「会津人」という言葉には、尊皇でありながら、賊軍の汚名を着せられた者たちの悲しみがある。悪政に抗し、ヤーヤー一揆や自由民権に立ち上がった不屈な面構えがある。妬むことなく、つつましい生活に終始した、おびただしい人々のぬくもりがある。
そして、私たちは「会津磐梯山」の独特の節回しが聞こえてきたり、勇壮な白虎隊剣舞を目の前にすると「会津人」であることを痛感させられるのである。
しかし、今の会津は、山王峠、勢至堂峠、中山峠、大峠、土湯峠といった難所にトンネルが通じ、峠の向こうの世界も、見知らぬ世界ではなくなった。
閉ざされた世界に風穴があいて、自由に往来することが可能になり「会津人」という一体感そのものが失われつつある。
私たちが「会津人」にこだわるのは、そこに私たちのルーツがあるからだ。東京への一極集中によって、日本中の個性がなくなっているなかで、地域の顔を取り戻すために「会津人」として情報を発信していくのである。
会津の政治、経済、文化の全ての分野で、私たちは臆せず発言し、悪に対しては、真っ向から立ち向かう。
「牙のある雑草」こそが地域ジャーナリズムの使命であるからだ。
会津は目下、深刻な不況下にある。戊辰戦争の敗北、昭和初めの金融恐慌、それに匹敵する大変な試練のまっただなかにある。地元企業のほとんどは、なすすべもなく、時代の激流に押し流されようとしている。
私たちは、改革派として提言を行っていきたい。会津ブランドは、まだまだ健在であるからだ。とくに、豊富な会津の水を活用した農業や食品加工の分野は、今後発展する余地が十分に残されている。
また、私たちの「温故知新」は「会津人」の先達から多くを学ぶことである。
曾津藩士のなかでは、開明派と目された山本覚馬、秋月悌次郎、広沢安任らに注目したい。会津は、過去においても、守旧派が主流である。それを打破せんとした者たちの苦労は、まさしく私たちが直面している難しさと共通しているからだ。
さらに、私たちは、かつての名も無き会津の農民の側に立ちたい。「目に一丁字なくして、事理の明確に言う力に富んだ、それでいて表現の力が無い、そんな人間が沢山いる」(柳田国男)。そうした人たちこそが、まさしく「会津人」であった。
教育はが公教育だけではなかった。村で生きていく上での知恵を授けてくれた人間たちがいたのである。学問はなくても、村の先輩がそこでの教育者であった。
文字を通じてでなく受け継がれた情念。それは同時に、権力中枢にいる中央官僚やインテリに対する、私たちの抵抗のバックボーンである。
文字による知識をいくら詰め込んでも、稲を育てたことがない者が、稲作を語ることはできない。本をいくら乱読しても、会津の心に触れることはできない。
じかに、会津の地を訪れて、磐梯山を仰ぎ、農村の静かなたたずまいのなかに身を置かなければ、地の霊は語りかけてはくれない。
地域に潜在的な力があるのは、そこに住む者が、その源と絶えず接することができるからだ。地域に根ざしたオピニオン誌が誕生することで、国を変え、世界を変えるきっかけにもなりうるのである。
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